折尾駅周辺の現状

折尾町-7の続編 〕

西折尾町地区では、筑豊本線と短絡線の迂回ルートとなる、西折尾トンネルの函渠築造工事が進行しています

折尾駅の周辺では、新折尾駅の建設に向けての街路・土地区画整理事業が進行しています

折 尾 地 区 総 合 整 備 事 業

(平成23年03月現在)
1.折尾土地区画整理事業--反対運動と、用地買収・建物解体が粛々と進行中
2.折尾駅周辺連続立体交差事業--筑豊本線の函渠築造工事が進行中
3.折尾駅前周辺街路事業--駅前の西鉄電車ビルの解体工事が終了



( 下の写真には、歪みやパノラマ撮影時の接続ミス等があります )

西折尾トンネルの現状


(2011-03-13)---国道3号線の北側の西折尾町では、西折尾トンネルの埋戻しがほとんど終わり、住宅地と道路の整備が続いています  
迂回する筑豊本線の、鹿児島本線下のトンネル工事は、情報不足で今のところ分かりません  


(2011-02-16)---北側出口では単線の筑豊本線と複線の短絡線になりますが、西折尾トンネル内で複線となり、南側の国道3号線の下を潜る予定です

(2011-03-13)---国道3号線の南側では、撮影地点の右側 (東側)で筑豊本線に接続する予定です。 新道路の折尾中間線は、西折尾トンネルの上を通り撮影地点の左側 (西側)を通る予定です

(2011-03-13)---撮影地点の南側の折尾高校下踏切の付近では、新道路の折尾中間線が一部分だけ完成しています。 さらに南に延長されて、水巻町の吉田小学校前の道路に接続します
撮影地点の岩山の東半分が、西折尾トンネルの延長線上にあります。 筑豊本線への接続位置は、予想では堀川運河よりも南側になりそうです

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堀川運河の現状



元和07年(1621)--福岡藩初代・黒田長政、洪水対策で堀川運河の開削工事を開始
元和09年(1623)--黒田長政の急逝で堀川開削工事を中止
宝暦元年(1751)--六代藩主・黒田継高、
堀川運河の開削工事を再開
宝暦12年(1762)--堀川運河が開通--249周年
宝暦13年(1763)--「川ひらた」の通船が開始--248周年
文化元年(1804)--堀川運河を寿命唐戸まで延長して全区間が開通--207周年


(2011-03-07) ---折尾駅前では、堀川運河が暗渠の中を流れています。 右端の駐輪場部分が、当初の堀川運河跡です。 右出口は、昭和57〜61年に変更された現在の暗渠出口です  

(2011-03-07) ---新折尾駅の建設スペースの関係で、平成19年に解体された駅前駐輪駐車場のあった位置に暗渠を移設して、暗渠出口も東側に変更されます

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送炭エンドレス線の橋台跡の現状


大正03年--九州電気軌道の折尾高架橋(3連+6連)の完成--97周年
大正03年--三好炭坑・釜ヶ谷坑〜折尾駅に送炭エンドレス線を設置--97周年
大正13年--国道2号 (→3号→現199号)に折尾隧道 (66m)の開通--87周年
昭和02年--折尾〜頃末間の三好鉱業・石炭専用線の運送を開始
昭和40年--折尾〜頃末間の日炭高松炭鉱・専用線の廃止

 

(2011-03-07)---送炭エンドレス線の橋台跡の解体工事に気が付いた時には、すでに5段・16個のブロックにカットされていました   

   

(2011-03-07)---7日には、10個のブロックが解体・移動されました 

(2011-03-08)---最下部の4ブロックだけが残っています

(2011-03-08)---8日には、囲いと足場の撤去が続いていました。  右奥の199号線・折尾隧道 (山頭火の詠んだ-『風のトンネル』)も、解体・撤去の予定になっています

 

(2011-03-08)---8日には、囲いと足場の撤去が続いていました  

(2011-03-13)---送炭エンドレス線の橋台跡の撤去工事が終了しました (合掌) 

( 平成24年02月---199号線の折尾隧道の解体工事が終了しました )

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『5-折尾駅前の現状を追加


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更新日--2011/03/17



 

 

 

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