遠賀税務署・三好炭鉱本社・三好中央病院 |
遠賀税務署・三好炭鉱本社の変遷 |
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明治43年頃の折尾駅と三好炭鉱本社 |
中央上に鷹見神社、右上は東筑中学の校舎です 鷹見神社の手前の二階建てが、三好炭鉱の本社建物です |
洋風の二階建で、屋根には2本の飾り煙突(?)が見えています 大正の中頃には遠賀公会堂が、三好炭鉱本社と鷹見神社の間に建設されます |
左端に旧・折尾警察署が確認できます、その右は折尾村役場だろうか?? |
三好炭鉱本社の前には、遠賀銀行(株)折尾支店(M.43〜T.9)、遠賀銀行本店(T.9〜S.2)、戦後には遠賀証券(株)本社があったようです |
折尾駅の鹿児島本線ホームには、まだ屋根がありません 大正2年には、複線が開通します |
二階建て建物の変遷と、三好炭鉱関連の略年表 |
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年 度 |
主要な変遷 |
記 事 |
その他 |
明治??年 |
遠賀郡の収税部を芦屋町に建設 (⇒29年より、芦屋・遠賀税務署となる ) |
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明治22年4/01 |
折尾村--遠賀郡洞南村となる--本城に村役場 |
くきなみ村--本城・陣原・則松・永犬丸と5村合併 |
(折尾の歴史) |
明治24年02月 |
九州鉄道--遠賀川駅〜折尾駅〜黒崎駅間の開通 |
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明治24年08月 |
筑豊興業鉄道--直方駅〜中間駅〜折尾駅〜若松駅間の開通 |
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明治31年02月 | 遠賀郡役所--芦屋町から折尾に移転 | (大字・則松) (現在-八幡西勤労青少年ホーム) (T.11-郡制廃止) | |
明治35年07月 |
芦屋・遠賀税務署を折尾に移築して移転 (⇒折尾・遠賀税務署となる ) |
(折尾・字八幡免--現・折尾八幡公園附近??) |
(折尾の字図) |
明治36年頃 |
三好徳松--別府炭坑を経営 |
(島門村) |
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明治37年 |
三好徳松--頃末炭坑を経営 |
(頃末・字東河原・字釜ヶ谷) |
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明治37年7/01 |
遠賀郡洞南村--遠賀郡折尾村と改称 |
村役場を折尾に移設--現・北鷹見町?? |
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明治39年 | 頃末炭坑を買収--三好炭坑に改称、山鹿(大君)炭坑を買収 | (頃末・字東河原・字釜ヶ谷) | |
明治39年08月 |
折尾警察分署を折尾駅前に建設 |
(折尾・字末里--現・折尾保育所) |
三好徳松氏の寄贈 |
明治42年07月 |
折尾警察署となる |
(折尾・字末里--現・折尾保育所) |
三好徳松氏の寄贈 |
明治42年11月 |
折尾・遠賀税務署を若松町に移転 (⇒若松・遠賀税務署となる ) |
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明治43年頃 |
折尾・遠賀税務署跡を移築して、三好炭坑本社となる |
(折尾・字左近田--現・白土医院--東筑1丁目) |
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大正07年03月 |
私立・折尾高等女学校の設立 |
(折尾・字木屋ヶ谷--現・県立折尾高校) |
三好セキ女史 |
大正07年12月 |
遠賀郡折尾村--遠賀郡折尾町となる |
町役場を八幡-はちまん-に建設 |
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大正11年06月 | 若松・遠賀税務署--折尾町に再移転 | (折尾・八幡はちまん) | |
大正??年 |
遠賀公会堂を建設 |
(折尾・字左近田--三好炭坑本社の東、鷹見神社の西) |
(現・妙應寺) |
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昭和03年09月 |
杁尋常高等小学校の頃末仮教場を建設 |
(頃末・字釜ヶ谷) 校舎1棟-4教室 |
三好徳松氏の寄贈 |
昭和06年01月 |
三好炭坑の本社建物を移築して、三好中央病院を設立 |
(頃末・字釜ヶ谷) |
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昭和09年04月 |
杁尋常高等小学校の頃末分教場を建設 |
(頃末・字櫛筍) 二階建校舎1棟-16教室 |
三好セキ氏の寄贈 |
昭和09年07月 |
日本炭礦・中央病院となる |
(頃末・字釜ヶ谷) |
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昭和11年02月 | 日炭中央病院の一鉱分院の建設 | (水巻・字吉田) | |
昭和11年06月 |
頃末尋常高等小学校となる |
(頃末・字櫛筍--現・頃末小学校) |
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昭和13年 | 折尾警察署--庁舎の新築・移転 | (折尾・字八反田--旧・折尾公園の前--前・折尾署) | |
昭和13年09月 | 則松小学校の講堂を建設 | (折尾・則松) | 三好徳松氏の寄贈 |
昭和15年11月 |
日炭中央病院の新館を増築、第1〜3病棟の建設 |
(頃末・字釜ヶ谷) |
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昭和16年02月 | 警察旧庁舎を解体移築して、折尾女子学園の本館となる | (折尾・字笹尾--現・折尾愛真学園・記念保存・旧本館) | |
昭和19年12/8 |
遠賀郡折尾町--八幡市に合併編入 |
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昭和24年2/07 | 遠賀税務署の火災--折尾警察署内に仮庁舎 | ||
昭和25年5/20 | 遠賀税務署--若松市堺町に新築し再移転 | ||
昭和34年11月 |
日炭中央病院の新病棟を建設--病床総数220床 |
(頃末・字釜ヶ谷) |
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昭和46年3/14 | 日本炭礦の閉山で、日炭中央病院を閉院 |
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昭和12年--
日本炭礦中央病院の旧館部分--(芦屋・遠賀税務署⇒折尾・遠賀税務署⇒三好炭坑本社⇒三好中央病院) | |
昭和34年に南側から見た、日炭中央病院の新館と旧館、左上に新病棟、右下は頃末小学校の一部です |
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下の記事より、プールの北側は看護婦寄宿舎のようです。 この二階建ては、当初は三好炭鉱時代の事務所跡
(頃末1342番地)と推定します |
日炭中央病院の歩み---(抜粋)---院長・土井滋 |
『遠賀中間医師会六十年史-S.44-』より |
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歴代院長--三好中央病院 (S.6/1〜S.9/7)--日本炭礦中央病院
(S.9/7〜S.46/3) |
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