中鶴炭鉱の歴史 (追加分-3) |
( S.19〜中鶴第三坑 ⇒ S.29〜東中鶴炭鉱 ⇒ S.35〜新中鶴炭鉱・新三坑 ⇒ S.39 閉山 ) |
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昭和23年---中鶴三坑の事務所・社宅 昭和36年---新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑と事務所・社宅 |
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昭和49年------新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑跡と、事務所・社宅跡の変遷 (現在・大平三丁目)------昭和56年 |
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平成12年頃---新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑跡 |
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( 昭和36年--211号線・涼天満宮の南東 )---上津役炭坑(S.23〜S.33)の石炭ポケット跡??と思われる跡地---( 昭和49年--現在・上の原一丁目) |
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昭和34年---竪坑北側の独身寮と社宅街 |
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新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑建設は、東中鶴炭鉱の租鉱権が満了する1年前から開始される---右写真は竪坑の7階から見た、北側の社宅街と共同浴場等 |
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昭和34年---竪坑西側の東中鶴炭鉱の坑口 昭和34年---建設中の新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑 (深さ170m) |
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昭和34年---竪坑の北西側、鳥居は大平の稲荷大明神か??? 昭和34年---新中鶴炭鉱(新三坑)の竪坑の南側 |
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****************************** 中鶴本坑
(大根土)の写真 |
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昭和36年---中鶴本坑と中牟田・宮ノ下・高見・宮林の各社宅街 |
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( □--約半数の炭住が現在も残っています ) |
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昭和38年---蓮花寺ボタ山から見た、中鶴本坑と豆炭工場・市立病院 |
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昭和38年---蓮花寺ボタ山から見た、中鶴本坑と中牟田社宅 |
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昭和40年---宮ノ下社宅と法専寺 昭和49年---宮ノ下社宅と法専寺 |
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前ページの28年地図では鉱員寮だったグランド横の2区画が、33年頃に鉱員社宅 (二階建て-4棟、平屋2軒-8棟) に立て替えられています |
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昭和40年---33年頃に建て替えられた、二階建ての鉱員社宅 (中牟田?・宮ノ下?) 昭和40年---高見社宅 (職員社宅) |
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昭和初期---大根土の二坑会館と高見社宅 昭和14年---大根土の二坑会館の内部 |
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昭和14年 ---大根土の山神社 (山ノ神)、手前空地に大正鉱業本社が建設される 昭和40年---大根土の山神社跡 |
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昭和18年??---中鶴新二坑と思われる坑口?? 昭和16年---中鶴新一坑の開坑式場 |
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この3枚の写真は、撮影年度と場所が確認されていません---後方の山が修正されているが、東側の蓮花寺附近と推定します |
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大正8年頃??---大根土炭坑と思われる坑口?? |
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左後方の小山は、宮林社宅にあった小山のように思われるが・・・・手前の骨組みは、バックネットのようにも見える (高見遊園地跡か??)・・・・情報の提供に期待します |
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****************************** 「香月線と大辻炭鉱の遺構」 「大辻炭鉱・岩崎炭鉱の遺構」 「大辻炭鉱と香月町 」 「日炭高松-中鶴炭鉱-大辻炭鉱」 |
昭和30年代の日炭高松炭鉱 |
日炭高松炭鉱の記憶 |