中鶴炭鉱の歴史 (追加分-2)


『 中間市史 』 ・ 『 中間郷土史会・江副敏夫氏の資料

中鶴炭鉱の写真帖-昭和30年頃 』 等より


大正鉱業(株)・中鶴炭鉱の歴史-(明治39年〜昭和39年)-を抜粋しました

( 写真のサイズにより、ページの横幅を広げています )



 

中鶴第二坑 (大根土)の写真

( T.8〜大根土炭坑 ⇒ S.2〜中鶴第二坑 ⇒ S.25〜中鶴本坑 ⇒ S.39 閉山 )

 

 

                               平成12年頃---中鶴第二坑(大根土)の跡地                                               昭和56年---中鶴第二坑(大根土)の跡地

 

  

                          昭和49年---中鶴第二坑(大根土)の跡地                         昭和28年の中間町図より---中鶴第二坑と中牟田・宮ノ下・大根土・宮林社宅、鉱員寮と鉱業所グランド

                                                                  ( 下に部分拡大図 )

 

昭和20年代---中鶴第二坑の選炭場と積込場ホッパー、右には新手ボタ山  

                                                                 

 

                     昭和30年頃---北側から見た、中鶴第二坑の選炭場と坑木置場                            昭和30年頃---北西側(中間駅)から見た、中鶴第二坑の選炭場と積込場ホッパー 

 

   

                       昭和30年頃---北東側(山神社)から見た、中鶴第二坑の鉱業所西側                       昭和30年頃---北西側から見た鉱業所事務所と、右奥に中鶴二坑会館

 

  

                  昭和30年頃---南側から見た受電所と送風機室、後方に日炭高松の吉田ボタ山                       昭和30年頃---大正鉱業の鉱区図と、中鶴炭鉱の現況図

                                                              ( 新一坑本卸⇔左卸・右卸、新二坑本卸⇔高江卸・上蔓卸、東中鶴炭坑、上津役炭坑 )

 

  

昭和30年頃---鉱業所内のトロッコとチップラーの風景、ストライキ決行時のバリケードと決起集会 

 

  

          昭和30年頃---新一坑・新二坑の繰込場・検身所                         新一坑・新二坑の繰込場・坑口開転扉                                新一坑・左水平の坑内電車

 

 

                             昭和30年頃---中鶴新一坑の坑口と、複線のエンドレス捲揚装置                         昭和30年頃---中鶴新二坑と思われる坑口 (確認中です) 

                                      (新一坑の銘板は、中鶴炭鉱偲郷碑の前に保存中) 

  

        昭和30年頃---坑内での掘進作業                                  昭和30年頃---中鶴新二坑の人車卸坑道                               27年に完成した、中鶴新二坑の100人乗の人車

 

  

                               昭和30年頃---坑内での門扉築造作業                                            昭和30年頃---坑内での仕繰作業 (切広作業)

 

  

                                                                       山神社の下附近から見た、雪の蓮花寺ボタ山                                              昭和30年頃---選炭場のボタ(硬)用ポケットとコンベア 

 

  

                                   昭和30年頃---蓮花寺ボタ山とトロッコ                                           蓮花寺ボタ山の山頂スキップ捲

 

  

昭和30年頃---北東側の蓮花寺ボタ山から見た、中鶴本坑と社宅街 

 

  

             昭和30年頃---南東側の宮林社宅から見た、中鶴本坑と右に鉱員寮                                       昭和14年頃---東側から見た、中鶴第二坑と山神社下の階段

 

  

                               昭和30年頃---鉱員寮の1棟 (明光寮)                                       昭和30年頃---鉱員寮の横には、鉱業所グランド 

 

  

                   分配所 (配給所)の内部風景             昭和30年頃---中鶴本坑の山神社 (山ノ神)                     昭和30年頃---選炭場から見た豆炭工場と、中鶴第一坑のボタ山跡

 

 

昭和28年の中間町図より---中鶴新一坑の坑口は確認できますが、新二坑は既に通気専用になっているようです?? (標高14,48附近と推定) 

 鉱業所事務所 (15,73)の南側には中鶴二坑会館や高見社宅、東側には中牟田・宮ノ下社宅と独身寮・鉱業所グランド等です

左下の2基の配水タンク(?)は、現在も住宅街の上部に残っています 

******************************

香月線と大辻炭鉱の遺構」 「大辻炭鉱・岩崎炭鉱の遺構」 「大辻炭鉱と香月町 」 「日炭高松-中鶴炭鉱-大辻炭鉱」 

明治39年-遠賀郡の炭鉱」 大辻炭鉱の歴史-追加分」 「中鶴炭鉱の歴史-追加分」 「中鶴炭鉱の歴史-追加分-3」 「東中鶴鉱・新中鶴鉱の遺構




昭和30年代の日炭高松炭鉱

第一鉱 

第二鉱・大君鉱 

第三鉱

二島鉱 

日炭高松炭鉱の記憶 



更新日--'06/11/11



inserted by FC2 system