(お役所のお仕事--馬骨庵報告・其の六 )

堀川運河沿いにあった、『鳳炭坑の蒸気捲揚機台座跡』が破壊されました---(平成19年2月) 

 

 

(平成20年5月12日)---これは、誰の仕業でしょうか???
枇杷の木に、何の恨みがあるのでしょうか???  通行の邪魔にでもなるのでしょうか??? 





( お役所のお仕事--
馬骨庵報告・其の四 )


堀川歴史公園の新たな工事-2006 


堀川歴史公園の「車返の切貫き」で、新たな河道整備工事が始まっています

工事区間は
、『無駄な遊歩道のすぐ下流の数百メートルです

工事の目的は、川底にコンクリートの排水溝を作る準備(期間-H.18/1/31〜H.18/3/24)

(
河道整備工事の写真を追加 撮影期間-H.18/2/28〜H.18/4/16 )
 

 

『無駄な遊歩道』の下流部分のヘドロを除去して、川底に砂盛りをして、その上にコンクリートの排水溝を作る計画のようです

  

 左写真は、『文化財に支障のない--現状に復旧できるような工法』??で施工された、開鑿時の貴重な鑿跡の残っていた東側の壁際です
右写真を見ると、堀川の河守神社附近の川底は、かなり以前からコンクリート処理が為されていたようです

 

コンクリートの排水溝は、左写真の川底に岩盤が露出している部分まで延長される計画です
お役所が望んでいる最終的な姿は、右写真の吉田団地のような、川底・両岸共にコンクリート製の排水溝です 


昭和61年に堀川運河の分断工事を実施して、現在の悪臭漂うドブ川化を推進した福岡県北九州土木事務所が

ドブ川の改良策として、川底に間隔の狭い排水溝を作り、水流を少しでも早めようと計画しています

写真のような現在の流水量では、その効果は誰にでも容易に予想が出来ます

もっとマシな堀川改善策は、いくらでも考えられると思われるが・・・・

お役所やお役人には、その意志も意欲も才覚も無いようです

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『無駄な遊歩道』の質問書に、4週間ぶりに回答がありました--(2006/03/06)

ご質問の内容から文書での回答は、誤解を招く恐れがあります そのため直接お会いし回答したいと思います・・・・

福岡県北九州土木事務所の担当者殿へ
素人にも理解でき、誤解を招く事の無い、理路整然とした、文書による回答を改めて要望いたします


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( お役所のお仕事--
馬骨庵報告・其の参 )


無駄な遊歩道-文化財の破壊-2006 


堀川歴史公園・「車返の切貫き」に、まったく無駄な遊歩道の延長工事をして

約250年前の貴重な鑿跡を塗り潰しました

無駄な工事の主犯格が、福岡県・北九州土木事務所と判明しました--(2006/02/09)

昭和61年に、岩瀬・伏越での堀川運河・分断工事を実施して、現在の悪臭漂うドブ川化を推進した--北九州土木事務所です
今回も全く無駄な遊歩道の延長工事をして、再び堀川運河の破壊工事をしました

共謀として、水巻町教育委員会にも堀川運河・鑿跡破壊の責任がある 

(水巻町の回答書-2/09-より抜粋)
-----
1-「工事の決定過程と、工事の必要性」について---
堀川歴史公園は町が管理しておりますが、ご指摘の堀川護岸工事は
県北九州土木事務所が実施しており、町が実施しているものではありません
従いまして、お尋ねの工事の決定過程と工事の必要性等についての回答はいたしかねます
詳しくは県北九州土木事務所(691-2766)にお尋ねくださいますようお願い申し上げます
-----
2-「貴重なノミ跡の破壊・破損」について---
ノミ跡の保護については、十分に県北九州土木事務所と協議の上
工事に際しては文化財に支障のない工法(現状に復旧できるような工法)を採用するとともに
慎重に工事施行していただくようお願いしております 、さらに必要な記録保存などの措置 も行っております
----- 

堀川護岸工事---無駄な遊歩道の延長工事を、護岸工事と主張する「お役所の論理」
           (管理はすれども、工事の必要性等の判断は出来ません)
現状に復旧できるような工法???---現状では特に緊急性・必要性は無いが、とりあえず継続事業として実施するお役所の言訳手法
水巻町の入札情報--'05年10月--「新々堀川文化財調査写真測量委託業務--1,155,000円」
遠賀ほりかわ物語展('06年11〜12月)で---鑿跡の写真が数枚展示され、貴重な鑿跡の拓本が2本も初公開される



(水巻町教育委員会の矛盾した愚策です---看板の設置が先か???、遊歩道の延長容認が先か??? )

北九州土木事務所と水巻町教育委員会の矛盾したお仕事---(左)延長される以前の鑿跡の壁面、(右)案内板の横には注意の看板を設置

 

平成18年1月--堀川歴史公園・「車返の切貫き跡」

北九州土木事務所と水巻町による無駄な遊歩道の延長工事によって鑿跡の残っていた東側の壁面がコンクリートで塗り潰されてしまいました 

ドブ川の如き悪臭の漂う川端に、このような遊歩道が必要なのか??? 

貴重な250年前の堀川開鑿時の鑿跡を塗り潰して、何を見せたいのか??? 

上の写真は2004年に撮影した、堀川の東側の壁面に残っていた、250年前の堀川開鑿時の鑿跡です 

この写真に写っている鑿跡は、もう二度と見る事は出来ません---北九州土木事務所と水巻町教育委員会に抗議を !!! 


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( お役所のお仕事--
馬骨庵報告・其の弐 )


躍進の像・(昭和15年)圓鍔勝三 


昭和15年に命名された『躍進の像』の
水巻町教育委員会による勝手な名称変更に抗議する

水巻町教育委員会は、平成17年7月28日付けで新たに以下を、水巻町文化財に指定しました
●炭鉱就労者の像--昭和初期--圓鍔えんつば 勝三作 (町指定第7号-有形・彫刻)
 

 

台座の表には- 躍進 』、裏には-(昭和15年建之)-とある 

案内看板の作成時に、町役場により便宜的に-「炭鉱就労者の像」と付けられた疑いがある 

 

『躍進の像』の変遷

昭和09年 

三好鉱業・大君鉱業を買収して、日本炭礦(株)を設立 

昭和10年 

新規に日炭高松・第二鉱の開鑿を開始 

昭和11年 

日炭高松・第二鉱の出炭を開始 

昭和15年   

年間出炭目標・百万トンを目指して、日炭高松・第二鉱の繰込場前の広場に設置 

昭和40年 

日炭高松・第二鉱の採炭を中止 

昭和46年 

日本炭礦(株)の閉山 

昭和62年  

閉山から16年後に、日本炭礦事務所跡の玄関前に移設

平成17年 

日本炭礦事務所跡の解体撤去工事により、水巻町図書館の駐車場横に移設  

 

 

 

( 日炭高松・第二鉱の出炭量の推移 )
S.11--133,348t、S.12--340,324t、S.13--630,745t、S.14--877,246t、S.15--1,025,667t
出炭開始から5年目にして、年間出炭・百万トンを達成する 


(昭和62年の移設について、工事の担当者より連絡がありました---松山様に感謝いたします)

(「地図と写真資料」の昭和30年写真を参照---二鉱繰込場前に、円形の植込みと台座が確認できます)

(「軍需生産美術推進隊により製作され・・・」を、削除しました--10/30)

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( お役所のお仕事--馬骨庵報告・其の壱 )

「水巻の炭鉱とその暮らし」--正誤表 

平成17年9月に水巻町歴史資料館が発行した、小冊子水巻の炭鉱とその暮らしの正誤表を掲載します

発行直後より数箇所の疑問点を指摘してきましたが、いまだに修正や訂正等がありません

((( 平成17年11月18日---水巻町の教育長や学校教育課長と面談---「再検討はするが、期間は未定」との回答あり )))
((( 約5年が経過しましたが、町当局からの連絡や訂正等も全くありません---H.22/10/01追記 )))

小冊子の訂正版が発行されるまで掲載します

もしも『水巻の炭鉱とその暮らし』を読まれる際には、参考にして下さい

( 水巻町歴史資料館に掲示中の水巻町石炭年表にも、数箇所の疑問点があります )


( 冊子を詳細に検討すると、指摘済みの箇所以外にも疑問点が見つかりました---H.17/11/21現在  )

頁 

項 目 

疑 問 点 

当サイトの見解 

記 事 

(注) 

 7頁  

三好徳松と炭鉱経営 

昭和 9年に三好鉱業を日本炭礦へ売却 

日本鉱業(株)に売却して、日本炭礦(株)が設立される 

9頁の説明と整合しない 

 

 8頁 

折尾高等女学校 

大正14年に福岡県立となり 

大正15年に、福岡県立となる 

(参照 ) 

 

〃 

地域社会に対しての貢献 

昭和10年-頃末小学校敷地ならびに校舎 

昭和 9年に、頃末小学校の敷地と校舎1棟を寄贈する 

8頁左下には9年とある (参照 ) 

 

 9頁 

日本炭礦 

昭和 9年に日本工業(株)は、 

昭和 9年に日本鉱業(株)は、 

校正ミス? 

 

〃 

〃 

高尾坑を第二高松炭礦として操業を 

第二高松炭鉱は、10年に新規開坑、11年7月より出炭開始 

現在の水巻中央ニュータウン 

 

〃 

〃 

 

高尾坑は、12年6月に閉鎖される 

現在の日吉台にあった 

 

 10頁 

第一鉱業所-一鉱・常盤鉱 

第一鉱業所--一鉱・常盤鉱 

31年までは遠賀鉱業所、32年より第一鉱業所となる 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

中央病院などの福利厚生施設も 

日炭中央病院の一鉱分院 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

写真・「一鉱全景」--昭和30年頃 

** 昭和32年8月の撮影分 

( ** ) 

 

〃 

第二鉱業所-二鉱・三鉱・四鉱 

第二鉱業所--二鉱・三鉱・四鉱 

31年までは遠賀鉱業所、32年より高松鉱業所となる 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

高尾坑を第二鉱業所として操業を 

第二高松炭鉱は、10年に新規開坑、11年7月より出炭開始 

上記の、9頁と同じ 

〃 

〃 

写真・「二鉱全景」--昭和30年頃 

** 昭和32年8月撮影分--ボタ山の山頂が削られている 

32年1月に山頂を削る(参照 )

 

 11頁 

大君鉱業所--五鉱 

大君鉱業所--五鉱 

31年までは遠賀鉱業所、32年より大君鉱業所となる

( 参照 ) 

 

〃 

〃 

昭和28年から採炭を開始 

昭和31年10月から、出炭が開始される 

 

 

〃 

〃 

大君に住宅が建てられて50世帯が住み 

大君豆炭社宅以外は、未だ確認されていない?? 

(参照 ) 

 

〃 

二島鉱業所--二島鉱 

写真・「二島埠頭貯炭場」--昭和30年頃 

** 昭和31年8月撮影分--日産液体燃料(株)の工場跡に注意 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

写真・「二島鉱」--昭和30年頃 

** 昭和32年8月撮影分--二島選炭場が増設されている 

日産液体燃料の工場跡が無い 

 

 14頁 

炭鉱社宅 

写真・「梅ノ木社宅」 

左に高松区社宅、上に古賀区社宅も写っている 

** 昭和31年8月撮影分 

 

 18頁 

学校 

養成する学校や、幼稚園などが 

高松幼児園--幼稚園とは管轄官庁が異なる 

19頁の説明と整合しない 

 

〃 

学校--水巻高等学校 

昭和22年、遠賀農業高校水巻分校と 

 昭和23年7月に、遠賀農業高校・水巻分校となる

参照−沿革 ) 

 

 19頁 

中央病院 

昭和15年、頃末に建設されました 

昭和 6年1月--三好鉱業は、三好中央病院を設立する 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

 

昭和 9年7月--日本炭礦・中央病院となる 

 

 

〃 

〃 

 

昭和13年--2分院と2診療所を設置する 

 

 

〃 

〃 

 

昭和15年--本館を新築、第1〜3病棟を増築する 

 

 

〃 

〃 

( 現-高松産業ビル ) 

昭和34年--新病棟を増築--新病棟のみが残っている 

 

 

〃 

〃 

一鉱分院・二鉱分院・三ツ頭診療所 

日炭中央病院の浅川分院(三鉱分院) 

(参照 ) 

 

 21頁 

国策と炭鉱 

日本炭礦遠賀鉱業所昭和46年ついに 

昭和32年以降には、遠賀鉱業所は存在しない 

23頁の年表と整合しない 

 

〃 

〃 

 

昭和46年--若松鉱業所と日本炭礦(株)が閉山する 

(参照 ) 

 

〃 

国策と炭鉱-炭鉱就労者の像 

写真・「炭鉱就労者の像」 

台座には、「躍進の像」とある 

勇士立像?? 

 

〃 

国策と炭鉱-折尾捕虜収容所 

折尾捕虜収容所

福岡俘虜収容所・折尾分所--後に第6分所と改称する 

俘虜情報局/俘虜収容所明細 

 

〃 

〃 

140名の捕虜が亡くなり  

収容中の死者74人 (英-11人、蘭-60人、豪-3人) 

 

 

〃 

〃 

多賀山のふもとに十字架の墓標 

多賀山の中腹に十字架の墓標 

歴史資料館よりも上部にある 

 

 22頁 

水巻町石炭年表 

明治36年--三好炭鉱(頃末)開坑 

明治39年--頃末炭坑を買収して、三好炭坑に改称する 

古い「水巻町誌」の丸写し 

 

〃 

〃 

明治45年--高尾坑より折尾駅との間に 

大正3年--高尾・釜ヶ谷坑〜折尾駅のエンドレス線路 

7頁の説明と整合しない 

 

〃 

〃 

 

大正8年--高尾新坑を開坑する 

(参照 ) 

 

〃 

〃 

大正7年--折尾高等女学校創立 

名目上としては、三好セキ女史の設立 

8頁の説明と整合しない 

 

〃 

〃 

大正7年--高尾三坑(大君)開坑 

大正5年--高尾三坑(大君)を開坑する 

 

 

〃 

〃 

大正10年--高松炭坑(吉田)開坑 

大正10年--高松新坑(吉田)を開坑する 

下層部の開発を目指す 

 

〃 

〃 

昭和 9年--日産系の日産化学(株)、 

昭和 9年--日本鉱業(株)が買収して、日本炭礦(株)が設立される 

9頁の説明と整合しない 

 

〃 

〃 

昭和15年--日炭中央病院開設

(上記の19頁を参照 )

古い「水巻町誌」の丸写し 

 

〃 

〃 

昭和18年--日本炭業株式会社と改称 

日本炭業(株)として、別の会社が存在している 

検索で簡単に判明します 

 

〃 

〃 

 

日本鉱業(株)の炭業部門--遠賀鉱業所となる

古い「水巻町誌」の丸写し 

〃 

〃 

昭和21年--水巻中学校創設 

昭和22年--水巻中学校の設立-27年まで頃末小学校に併設 

(参照 ) 

 

23頁 

〃 

昭和40年--2/27、日炭一鉱閉山式 

昭和41年--2/27、日炭一鉱・閉山式 

 

 

( ** 直方市石炭記念館・所蔵の『日炭高松炭鉱・写真帖』には---昭和31年8月と、昭和32年8月に撮影との記載がある )

僅か23ページの冊子としては、実に華やかな正誤表となりました

複数の参考文献・関連資料・証言等による、比較検討・検証が為されていない
特に、古い『水巻町誌』の丸写しが目立ち、新しい『
増補・水巻町誌』が無視されているようだ
頃末炭坑〜三好徳松〜日本炭礦(株)の各会社組織や、時間的・空間的な変移・変遷を理解していない
九大の権威ある先生方による、水巻町の早急な再検討に期待します
水巻町図書館では、未訂正の(オリジナル版)冊子を現在も販売しています---間違い探しにチャレンジして下さい

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(注)--平成22年10月23日--5年間の検討期間を経て、水巻町歴史資料館作成の正誤表 (A5切り貼り-全24行) が提示されたが、

1、三好鉱業時代の高尾坑 (買収後の→日炭高尾) と、日炭が新規に開坑した第二高松鉱との理解がまだ不足しているようだ。 

 2、日炭中央病院の前身である三好中央病院が、水巻町誌には載っていないので調査が必要である。

3、指摘した全項目には回答されていないので、まだ不十分である。 

4、日炭関連資料の閲覧と利用が、「只今整理中」との理由で、5年前から拒否されている。 

5、日炭関連資料の所蔵リストの開示も求めているが、これも「只今整理中」との理由で、5年前から拒否されている。 

水巻町の町長や教育長等は、この様な現状をご存知でしょうか
『お役所の馬耳東風に呆れ果て 匙を投げたる馬の骨かな』- - - (馬骨庵・硬山道草)

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( 指摘個所に誤りがありましたら、管理人までメールをお願い致します---再確認をして、回答いたします )

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当サイトの作成時に使用した、参考文献・参考サイト等を再掲します

一部の文献・資料を除き、水巻町発行分と、水巻町図書館・所蔵の文献類を使用しました

( 参考文献・参考サイト・関係機関等の一覧---H.17/11/24現在 ) 

 * 「水巻町誌」-------------------------水巻町郷土誌編集委員会-(1962)
 * 「増補・水巻町誌」-------------------- 水巻町誌編纂委員会-(2001) 
 * 「日炭高松組合十年史」----------------日炭高松労働組合編-(1959) 
 * 「地底からの雄叫び」------------------ 宮本忠人-(2000) 
 * 「忘れ得ぬ其日」・「満州の思い出」------- 興梠友兼-(1970/1960) 
 * 「追憶・日本炭礦・思い出のアルバム」-----日本炭礦-(1966)  
 * 「水巻おもいでの写真集」---------------水巻町-(1990) 
 * 「わたしたちのまち水巻」--------------- 水巻町-(2002)
 * 「水巻町・町勢要覧」------------------ 水巻町-(1980)
 * 「にっぽん俘虜収容所」---------------- 林えいだい-(1991) 
 * 「ふるさと飛行・福岡県航空写真集」------ 西日本新聞社-(1983/1989) 
 * 「頃末小学校・五十年史」-------------- 頃末小学校-(1988) 
 * 「ふるさと思い出の写真集・八幡」-(1982)   * 「写真集・福岡100年」   * 「筑豊石炭礦業史年表」
 * 「筑豊炭礦誌」--高野江基太郎  * 「中間市史」   * 「直方市史」
 * 「遠賀郡誌」   * 「八幡市史」   * 「福岡県史」 
 * 「芦屋町誌」   * 「芦屋町制・百周年記念誌」   * 「福岡県・百科事典」   
 * 「北九州市史」   * 「北九州市・土木史」   * 「北九州市・産業史」 
 * 「山田町誌」   * 「山田市誌」   * 「志免町誌」 
 * 「東筑・百年史」  * 「折尾高校・20周年記念誌」-(1977)  * 「水巻中学校・50周年記念誌」
 * 「若松信用金庫・40周年記念誌」-(1963)  * 「折尾女子学園・50年通史」-(1985)

 * 「The RAIL-No.16-」-(1985)  

 * 「遠賀信用金庫・50周年記念誌」-(1999)  * 「香月小学校・小史」-(1984)  * 「楠橋小学校・百年史」-(1975) 
 * 「水巻町全域・航空写真集成図」-(1972)  * 「八幡市字図大鑑・折尾版」-(1959)   * 「知名士写真名鑑・遠賀郡」-(1955) 
 * 「八幡信用金庫・77年の歴史」   * 「ふくおか絵葉書浪漫」   * 「昭和の遠賀堀川」 
 * 「杁小学校・百十年史」   * 「下二小学校・記念誌」-(1986)   * 「折尾史跡めぐり」
 * 「水巻町地名簿」  * 「石炭物語」--柴田貞志  * 「筑豊近代化大年表」
 * 「門司港誌」-(M.30)  * 「筑豊四郡・煤田調査報分」-(M.37)  * 「福岡日日新聞」
 * 直方市石炭記念館   * 香月小学校・郷土資料室  * 水巻町歴史資料館 
 * 九州大学・石炭研究資料センター  * 九州大学・デジタルアーカイブス  * 中間市歴史民俗資料館
 * 法政大学・大原社会問題研究所   * 神戸大学・新聞記事文庫   * 九州工業大学・筑豊歴史写真ギャラリー 
 * 国土交通省・国土画像情報-(S.49/S.56)   * 日本工学会・工学会誌  * 日本鉱業名鑑・検索システム
 * 国立公文書館・アジア歴史資料センター   * 国立国会図書館・議会官庁資料室  * 国立国会図書館・近代デジタルライブラリー
 * 福岡県・県史だより   * 赤紙−みいけの年表   * 中間市教育委員会
 * 吉田小学校   * 北九州市-建築都市局-区画整理課  * 北九州市-建築都市局-再開発課 
 * 頃末小学校・卒業アルバム  * 水巻中学校・卒業アルバム  * その他--協力者所有の個人資料等 


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昭和30年代の日炭高松炭鉱

第一鉱 

第二鉱・大君鉱 

第三鉱

二島鉱 

日炭高松炭鉱の記憶 



更新日--'10/11/12


『見渡せば社宅も事務所も無かりけり 硬山(ボタ山)跡の秋の夕暮れ』


『お役所の馬耳東風に呆れ果て 匙を投げたる馬の骨かな』- - - (馬骨庵・硬山道草)



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