(お役所のお仕事--馬骨庵報告・其の六)



鳳炭坑の捲揚機台座跡 


水巻町吉田車返の堀川運河沿いにあった、『鳳炭坑の蒸気捲揚機の台座跡が完全に破壊されてしまいました

水巻町に残っていた、唯一の明治・大正時代の炭鉱遺跡が消えてしまいました

今回の破壊工事も、福岡県北九州土木事務所のお仕事です
==「吉田東3丁目地区・急傾斜地崩壊対策工事」==
(H.19-1/19〜H.19-3/15)


鳳炭坑の蒸気捲揚機台座跡

 

             鳳 炭 鉱 の 歴 史

明治20年

島津孫六---島津炭坑(車返)・御輪地炭坑(吉田)を開坑する 

明治21年

島津孫六---第二御輪地炭坑(吉田)を開坑する 

明治23年

中西円蔵---河守炭坑(吉田)を開坑する 

明治25年 

島津孫六---鳳炭坑(吉田車返)を開坑する 

大正12年 

三好徳松---鳳炭坑を買収して、高松二坑となる 

昭和04年 

高尾坑と統合して、高尾高松二坑となる 

昭和05年 

高尾坑となる 

昭和09年 

日炭・高尾鉱となる 

昭和12年 

高尾鉱の閉鎖 

平成19年 

鳳炭坑の蒸気捲揚機台座跡が破壊される 

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(平成15年12月)  捲揚機の台座跡には土砂が堆積して、平成18年の夏頃までは畑になっていたようです

 

(平成18年10月)  土砂が取り除かれて、町役場?の測量があったようです 

  

(平成18年11月)  南側から見た、蒸気捲揚機の台座跡    

 

(平成18年11月)  西側から見た、蒸気捲揚機の台座跡、東側奥には坑口とトロッコ線路があった 

 

(平成18年11月)  東側から見た、蒸気捲揚機の台座跡 

 

(平成18年11月)  北側から見た、蒸気捲揚機の台座跡 

 

 (平成18年10月)  堀川運河側にある、二つのアーチ部分

  

(平成18年10月)  アーチ部分の内部です 

 

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(平成19年2月)  「急傾斜地崩壊対策工事」によって、蒸気捲揚機の台座跡が破壊されました 

  

(平成19年2月)  2/07には、既に赤レンガ構造の9割程が破壊されていました 

 

 (平成19年2月)  2/07に北側から見た、蒸気捲揚機の台座跡の残骸です

 

 (平成19年2月)  2/11には、赤レンガ構造の全てが破壊されていました

  

(平成19年2月11日)      南側から見た、蒸気捲揚機台座跡の跡地です      (平成19年3月18日)

 

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(平成19年5月21日)  法面へのモルタル吹付けと共に、捲揚機台座の横にあった岩も見事なオブジェに変身していました 

 

(平成19年6月10日)  真白なオブジェの盗難を懸念したのか??、ついに金網の柵で囲われてしまいました  

 

 

(平成19年9月28日)  真白なオブジェの上部に突起があり、以前から気にはなっていましたが・・・・なんと、枇杷の木の切株でした  (平成19年11月8日)
上の写真は、挿し木ではありません  モルタルで固められた切株から、新芽が出て立派に成長しています
この枇杷の木の成長を、これからも見守っていきましょう

 

平成18年11月の写真には、枇杷の木が石割り状態で写っています 

 平成19年2月7日の写真には、枇杷の木の切株が写っています

平成19年6月10日の写真には、枇杷の木の切株に新芽の双葉が写っていました

 

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(平成20年5月12日)  これは、誰の仕業でしょうか???  枇杷の木が、誰の邪魔になるのでしょうか???

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『昭和の遠賀堀川』に、戦前の堀川運河・河守神社周辺のスケッチ画が掲載されています
スケッチ画の中に、鳳炭坑の捲揚機台座跡や空中送炭エンドレス線等が描かれています





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更新日 2008/05/12




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