日炭・山田炭鉱の記憶 

『日本鉱業(株)・山田炭鉱・概要説明書-S.18-』より

福岡県山田市は、全盛時には大小25炭鉱が操業する炭鉱都市でしたが

昭和45年には、全ての炭鉱がその姿を消しました

<< 2006年3月27日に嘉穂郡の嘉穂町・碓井町・稲築町と対等合併し、嘉麻市(かまし)となりました >>
<< 1896年に嘉麻郡と穂波郡が合併して嘉穂郡となり、今回の合併で旧・郡名に戻りました >>

会社名の変遷---(S.9-7)日本炭礦(株)(S.12-2)日本化学工業(株)(S.12-12)日産化学工業(株)(S.18-4)日本鉱業(株)(S.20-7)日本炭礦(株)


日炭・山田炭鉱の歴史

 

** 大正10〜13年頃??の開坑---( 概要説明書では--T.10、下写真では--T.13、山田町誌では--T.15・帝国炭業⇒S.2・野上鉱業-とあり、未確定です) 

 

『鉱業関係データ』によると  

大正3年頃 

 大谷炭坑(株)が開坑??

大正8年5月 

帝国炭業(株)を設立する(下関市) 

大正8年頃〜昭和3年 

帝国炭業(株)が中山田炭坑を経営する 

大正14年 

帝国炭業(株)が山田坑を開坑する 

大正15年 

野上合資が山田坑を操業する 

 

 『筑豊石炭鉱業史年表-S.48-』によると 

昭和2年1月 

野上鉱業(資)を設立し、
帝国炭業(株)山田鉱業所の第三坑の斤先坑に採掘権を設定し、
山田炭坑と呼称
する

昭和2年5月 

山田炭坑に第二坑を開鑿する 

昭和3年 

三菱鉱業(株)が中山田炭坑を買収する 

昭和5年 

中山田炭坑を三菱・上山田炭鉱に合併する 

昭和5年12月 

300t選炭機1台を拡張する 

昭和9年1月 

日本鉱業(株)が野上鉱業(株)の山田炭坑を買収して、山田炭礦(株)を設立する 

昭和11年12月 

日本炭礦(株)に合併して、日本炭礦(株)・山田鉱業所となる 

昭和34年・10/30 

閉山となる (日炭高松に配置転換) 

野上辰之助---大正11年・個人創業---大正??年・野上合資---昭和2年・野上鉱業合資会社---昭和8年・野上鉱業(株) 

「日炭・山田炭鉱の二重設定鉱区」についての推測
三菱・上山田炭鉱の一部---元の中山田炭坑---帝国炭業(株)山田鉱業所の第一坑・第二坑と推定 ---直方層群の下層部を採炭
日本炭礦(株)・山田鉱業所---元の山田坑---帝国炭業(株)山田鉱業所の第三坑と推定 ---直方層群の上層部を採炭

 

 

 

(石炭時報-第7巻-第10号-1932)                     昭和7年頃---野上鉱業・山田炭坑

北側から見た、山田炭坑の一坑坑口とボタ山、右に選炭場の建物が確認できます 

 

  

(石炭時報-第4巻-第9号-1929)                                         昭和4年頃---野上鉱業・山田炭坑 (右上)

南西側から見た、左下は古河・下山田炭鉱と下山田駅の付近です  右上に山田炭坑の社宅街が見えています、ボタ山は写真の右横になります 

   

 

昭和22年--日炭・山田炭鉱  

左下に古河・下山田炭鉱の社宅街と下山田駅、右に日炭・山田炭鉱の社宅街が見えています  西新町・宮之町・稲荷町は、まだ建設前のようです   

   

 

昭和26年頃---日炭・山田炭鉱の坑外図 

下山田駅の北東約1キロに、坑口や事務所・病院等がありました--( 上山田線は昭和63年に廃止される ) 

選炭された石炭は、エンドレス線で選炭場から下山田駅の積込場に送る 

社宅街は上から、宝町・西新町・弥生町・緑町・東雲町・宮之町・旭町・幸町・曙町・日之出町・稲荷町・栄町・寿町です  (曙町の右に山ノ神社) 

 

 

昭和49年---日炭・山田炭鉱の跡地 

選炭場跡には、石炭ポケット跡??が見えています---西新町・栄町・寿町の社宅は、まだ残っているようです 

( M.31-下山田駅の開設、M.32-上山田駅の開設---S.63・9/1-上山田線が廃止される )   

 

 

昭和18年---日本鉱業・山田炭鉱の鉱区・採掘図 

東には三菱・上山田炭鉱、西には三井・山野鉱業所・鴨生二坑、南には古河・下山田炭鉱の各鉱区と隣接していました 

 

 

日炭・山田炭鉱は、直方層群の上部

上石累層の六尺・五尺・四尺層を採炭していました

三菱・上山田炭鉱は、二重設定鉱区である

日炭・山田炭鉱の鉱区の下層部も採炭していました

( 日炭高松炭鉱は、大辻層群の遠賀層を採炭 )

 日炭・山田炭鉱の出炭量・鉱員数    

年 度 

単位-トン     

鉱員数

昭和13年 

232,838

1,141 

昭和14年

131,590 

1,083 

昭和15年 

132,878

696 

昭和16年 

103,830 

817 

昭和17年 

109,464

796 

昭和18年

119,258

824 

昭和19年

112,131 

1,059 

昭和20年

49,146 

?? 

昭和21年 

59,597 

?? 

昭和22年 

65,675 

?? 

昭和23年 

86,768 

?? 

昭和24年 

59,476 

?? 

昭和25年 

76,320 

?? 

昭和30年

?? 

?? 

昭和32年 

88,700 

?? 

昭和34年 

85,200 

594 

( 昭和18年--鉱員824名の内、303名は半島出身者 )

その他の炭鉱の操業期間 (一部を抜粋・閉山時)

炭鉱名 

操業期間 

鉱員数 

出炭量 

古河・下山田炭鉱 

M.27⇒S.45-1/30 

542 

134000 

三菱・上山田炭鉱 

M.28⇒S.37-5/31 

605 

13000 

(第二)上山田炭鉱 

S.37⇒S.45-9/29 

204 

59753 

野見山・筑紫炭鉱 

S.08⇒S.35-9/27 

371 

18829 

日本炭業・上山炭鉱 

S.12⇒S.37-4/30 

130 

15880 

木城炭鉱 

???  ⇒S.34-7/21  

781 

88200 

共同石炭・日吉炭鉱 

T.11⇒S.43-4/30 

670 

162900 

              昭和18年---日本鉱業・山田炭鉱の炭層図 

 

 

昭和18年---日本鉱業・山田炭鉱の社宅図 

鉱員社宅には---6畳+3畳+台所、6畳+2畳+台所、6畳+台所の3種類---全444戸があったようです 

 独身寮は---青雲寮(100名)、親和寮第一(380名)、親和寮第二(120名)---全定員600名分がありました 

( 青雲寮は--26年坑外図の旭日寮、親和寮は--緑町と思われるが、未確認です )  

( 昭和24年3月--社宅数 560戸、寮・合宿 8戸--「整備計画認可申請書」より )  

   

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筑豊炭田の地質図 

筑豊炭田の夾炭層は、遠賀川水系沿いの古第三紀層 (6,700万年前〜2,400万年前) にありました  

 夾炭層--(黒色)遠賀層、(紺色)大辻層群、(黄色)直方層群 

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更新日--2011/04/18




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