水巻町全図-3 (昭和38年頃) |
水巻町歴史資料館所蔵の水巻町全図(1/2500)より、日炭高松炭鉱の炭住・社宅街を抜粋しました
昭和38年(1963)
3月頃と推定---1.水巻母子寮の記載あり-(37年に開設)
2.北九州市若松区の記載あり-(38年-2/10-五市合併)
3.水巻高等学校の記載あり-(38年に閉校) |
<<< 昭和31年頃の水巻町 >>> (右が、北になります) |
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左下より鯉口区・中央区社宅と水巻中学校・町役場・頃末地区です 上より遠賀川と杁社宅・宮ノ下社宅・第二鉱、下に頃末小学校・中央病院と高尾区社宅です |
中央より古賀区・梅ノ木区・高松区社宅と樋口・猪熊地区です 右下に、旧・若松市浅川の第三鉱です |
<<< 昭和38年頃の古賀区・梅ノ木区・高松区社宅 >>> (右が、北になります) |
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古賀区・梅ノ木区・高松区社宅では、二階建八軒長屋が約8〜9割を占めています (一部を除き)各棟の西側に、共同便所が設置されています |
左下の二鉱ボタ山は、昭和31年からの低品位炭(水洗炭)の回収で、ボタ山がU字型に削り取られています |
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( 昭和49年の日炭高松球場跡と古賀区・梅ノ木区・高松区社宅跡 ) |
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<<< 昭和32年の二鉱ボタ山 >>> (左が、北になります) |
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二鉱ボタ山は、航空自衛隊の要請により、昭和32年に北側2つの山頂部を削りました |
二鉱ボタ山の西側麓からの、低品位炭(水洗炭)の回収で、ボタ山の姿は徐々に変化していきました |
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<<< 昭和38年頃の二鉱ボタ山 >>> |
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二鉱ボタ山は、低品位炭(水洗炭)の回収が進むにつれて、ボタ山全体が徐々に北東側に移動し変化しているようです |
ボタ山周辺の池も変化しています 右側の中谷池は、現在の九州共立大学のグランド付近になります |
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( 昭和49年の二鉱ボタ山と左下に水巻中学校、右上に九州共立大学と九州女子大学 ) |
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<<< 昭和38年頃の片山区社宅 >>> (左が、北になります) |
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片山区社宅では、二階建長屋と平屋の長屋が約半々になっています 常盤台社宅は平屋のようです 右側の約1/3が、中間市岩瀬になります |
<<< 昭和32年の吉田区・片山区社宅 >>> (左が、北になります) |
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筑豊本線の東側に、第一鉱業所と一鉱ボタ山・片山区・常盤台社宅です 筑豊本線の西側には、選炭場と吉田区社宅・赤池社宅です |
<<< 昭和38年頃の吉田区社宅 >>> (左が、北になります) |
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吉田区社宅では、二階建長屋よりも平屋の長屋が多いようです 右側の約1/3が、中間市岩瀬になります |
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( 昭和47年の吉田区社宅跡 ) |
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( 昭和49年の第一鉱跡と複々線の筑豊本線、吉田区社宅跡と堀川運河跡 ) |
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(左が、北になります) 昭和47年の日炭の社宅街---左上に浅川地区、右上に高尾区、下に高松・梅ノ木・古賀区と宮ノ下・杁社宅 |