懐かしき折尾町 -6 

 『東筑百年史-1998-』、『折尾高校二十周年記念誌-1977-』

『折尾高校・紀要第六集-1965-』より

「折尾高等女学校東筑高校・南校舎折尾高校の歴史と写真を抜粋しました

( 折尾高校の校舎増改築の変遷 )


折尾高等女学校〜折尾高校の歴史 

年 度 

            学校の略史と、校舎の増改築工事

 大正07年03月   

 「私立・折尾高等女学校」の設立---三好セキ女史 (三好炭坑・三好徳松氏夫人)  (**) 

大正08年09月

 校舎が一部落成して、仮校舎より移転する---(現在の白土医院の地に予備校があり借用する) 

大正11年11月

 本館の落成---(10月までに14教室が完成済) 

大正13年07月  

 「遠賀郡・折尾高等女学校」と改称---(遠賀郡折尾町外十一ヶ町村学校組合立となる) 

大正15年04月 

 「福岡県・折尾高等女学校」となる 

昭和04年05月

 プールを新設

昭和14〜17年 

 4教室・廊下等を増築 

昭和18年03月  

 新運動場の完成 

( T.7-本科4年・実科3年⇒ T.9-本科4年・実科2年・補習科1年⇒ T.12-本科4年⇒ S.18-教員養成科1年を付設 )  

   

昭和23年04月 

 「県立・折尾高等学校」となる 

昭和24年04月 

 東筑高校・八幡商業高校と三校統合して、「県立・東筑高校・南校舎」となる 
   

昭和31年05月 

 東筑高校から分離して、新設の「県立・折尾高等学校」となる 

昭和34年01月

 老朽木造校舎の全面増改築工事が始まる 

昭和35年04月

 北校舎が完成 

昭和35年07月

 運動場の拡張工事完成---(約2倍に拡張される) 

昭和36年09月

 新本館が完成 

昭和37年07月

 南校舎・中央廊下が完成 

昭和38年06月

 東校舎が完成 

昭和40年03月

 体育館講堂が完成 
 昭和40年05月  新校舎が完成

昭和42年12月

 図書館が完成 

昭和43年01月

 食堂が開業

昭和43年04月

 鋼板プールが完成 

昭和41〜49年

 音楽室・美術室・商業科特別教室・家庭科特別教室・事務科特別教室・語学演習室が完成

( S.23-商業科・家庭科⇒ S.38-商業科・家政科⇒ S.47-商業科・事務科・家政科⇒ )  

( 事務科→S,63情報処理科→H.1情報管理科に変更 )  

( ⇒ H.15-総合ビジネス科・ビジネス情報科・生活デザイン科に変更 ) 

   

(**) 三好徳松氏は明治末期に、堀川運河沿いの折尾町木屋ヶ谷に折尾炭坑を開坑するが数年で閉鎖する  

木屋ヶ谷956番地に折尾高等女学校を設立、昭和8年には土地6,000坪を寄附する


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折尾高等女学校〜東筑高校・南校舎時代の校舎

 

 

折尾高等女学校の校舎模型 

左に作法室・プール・実科の和室と校舎本館、中に教室と当初の運動場、右に教室・雨天体操場と音楽室が確認できます 

 

 

                     折尾高等女学校の正門                               本館玄関 

 

  

                   昭和12年の校舎本館と運動場                         大正12年頃の講堂---本館2階

 

 

                       大正時代の運動会                       昭和7年のプール---現在の食堂付近

 

 

                三好セキ女史頌徳碑                     折尾高等女学校の校門---柊の垣根はまだありません 

 

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( 改築前の校舎の老朽ぶりをしめす文を、「紀要」第五集から引用 ) 

校舎は女子を対象として建築され全体が脆弱でありまして、 床板は薄い杉板で男子生徒には踏むに危険を感じ
腰板は落ち屋根はスレートの所は勿諭、瓦も剥脱して、全校舎至る所に雨漏りを生じ
壁は落ち根太はゆるみ屋根裏は腐敗甚だしく、天井墜落の危険すら感じる状態であります
(昭和32年1月24日付・福岡県立折尾高等学校・校舎増改築に関する陳情書)  

開校当初の校舎を見て、 あまりにもその哀れな建物にびっくりしたのは私だけでなかったと思います
雨の降る日はバケツの行列、廊下は雨水が壁の中から土砂と共に流れる有様、全く眼もあてられぬ状景
最も心配なのは屋根裏の梁木が腐食しており、今にも天井が墜落する危険を感じた時
(海江田憲法・元PTA会長)  

或る日、校長の案内で役員一同が校舎教室を視察して誠に驚きました
教室の床板は何ヵ所も破れ、壁は朽ち塀は破れ、又校舎の至る処にバケツが置かれ、雨漏りの防具としてある等
是が県立高校かと想えば情けない程に一同唖然とし言葉もありません。 校長の説明を聞けば聞く程悲痛な感が胸をしめました
(竹内多一郎・元PTA副会長)  

(冷牟田巌・教頭)--「紀要」第六集より抜粋 

 

 

昭和31年頃の折尾高校 

右に新運動場、後方に日炭高松炭鉱の第一鉱ボタ山が見えています 

 

  

              昭和32年の第1回卒業式                     昭和33年の入学式当日---折尾高女時代の雨天体操場 

 

 

                  昭和34年6月に、北校舎の西側半分が完成             36年9月に新本館が完成、旧本館からの引越し風景

 

 

昭和34年12月に、北校舎の東側半分が建設開始 

 

昭和35年11月の折尾高校---北校舎が完成

 

 

        昭和35年1月の折尾高校---北校舎の東側半分が建設中             昭和36年6月の折尾高校---新本館が完成

 

          

            昭和37年4月頃の折尾高校---南校舎が建設中               昭和38年6月の折尾高校---東校舎が完成

 

 

昭和35年12月---新本館の建設前に雨天体操場が解体される 

 

体育館とは名ばかりの場所で、また武道場にしても狭すぎる武道場で、雨漏りにも負けず、雪の降りこむ寒さにも負けず
床板を踏み割り、ひっかかり、釘を踏む思いの体育館(バスケットコート1面)で、金槌を、釘を、板切れを持ちつつ、授業を続けてきたのである
この体育館も4年余りで校舎改築を機に倒され、応急処置として第1次仮体育館(2教室を改造)が設けられ、曲がりなりにも利用してきたのである
この仮体育館も39年7月25日の白昼自然倒壊し、第2次仮体育館(1次に同じく教室改造)が設けられた
(古田昭治・体育科教諭)---「紀要」第六集より抜粋 

 

     

        昭和39年7月---第1次仮体育館が自然倒壊                      昭和39年9月頃---南校舎と第2次仮体育館

 

 

昭和40年8月の折尾高校

3月に体育館講堂が完成、5月に新校舎が完成-(12月に増築も完成)

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( 現在では、更に校舎が増築されています、こちら をご覧下さい ) 

 

  

昭和42・43年頃に撤去された校門                              平成12年頃の折尾高校

 

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水巻町の明神ヶ辻山から見た---現在の折尾高校

 

日炭高松・第二鉱ボタ山跡から見た---現在の折尾高校 

後方に整備された日炭高松・第一鉱ボタ山跡と、中間市にあった中鶴炭鉱・蓮花寺ボタ山跡が見えています 

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更新日- '06/11/11




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