懐かしき折尾町 -4 

〔 折尾町-2 の続編〕  

鷹見神社と、妙應寺の集会所を訪ねてみました 日炭高松炭鉱のボタ山跡

( 昔の遠賀公会堂の情報を探しています )


折尾地区総合整備事業の近況を追加


折尾駅と鷹見神社・妙應寺集会所 

 

南東から見た、折尾駅と日炭高松炭鉱の二鉱ボタ山(浅川ボタ山) 

手前から鷹見神社と妙應寺、右は西鉄の路線跡地です  上部左より、水巻町の多賀山・二鉱ボタ山跡・日ノ峰山です 

 

 

妙應寺の集会所は、昭和29年の写真と比べると、屋根と東側の窓が変わっています

この建物は『当初は遠賀郡の繭倉庫(乾繭倉庫)として建てられた』との情報もあり、西側の窓の有無も不明です 

未確認ですが、戦時中には高射砲が据えられていたとの話もあります  

昭和26年から、九州経理高等学校の折尾分校に⇒29年には、九州経理専門学校に改称しました

右奥の戦前から「遠賀公会堂」と呼ばれていた、(青色の)高い煙突のある建物は、昭和53年の本堂建設以前に解体されたようです

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遠賀農学校OBより--『戦時中に遠賀公会堂が、繭の乾燥場として使用され、高い煙突はその名残り』--との情報がありました  ---(07/06追記)  

遠賀公会堂の内部は、2階まで吹抜けの構造だったとの話です

昭和22年11月〜32年3月には元・遠賀公会堂を、折尾簡易裁判所と折尾区検察庁が使用する---(八幡市史-S.34-より) 

 

 

この写真では、妙應寺集会所の屋根の増築改装が確認できます  乾繭倉庫の東西に窓を作り、モルタル塗装がなされたようです 

2階部分の東面と南北面には、鉄製の扉が残り、繭倉庫(乾繭倉庫)との情報とほぼ合致します 

 

 

妙應寺集会所の1階内部です  改装されていますが左の部屋に、九州経理専門学校当時の黒板が残されています 

 

 

                                 西側の階段は、黒塗りで頑丈に作られています                  2階部分は、2部屋に仕切れるようになっています 

 

  

       妙應寺集会所の2階内部です、南北に2面の黒板が残されています           北側の舞台部分と畳敷きは、50年代の改装と思われます 

 

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              鷹見神社ヘの階段は、神社の北東側にあります             西側の裏の坂道は、下のミツトモ醤油と妙應寺の坂道前に出ます 

鷹見神社は、寛永7年(1630)現在地に移され、明治5年に折尾村の村社となる、昭和4年に再建され、平成5年に鉱害復旧工事で修復されました 

 

 

          鷹見神社で保存されている、日露戦争当時の(敷設)水雷です           妙應寺の北側のミツトモ醤油は、大正時代から続いていました↓ 

 

 

昭和30年頃の遠賀証券(株)本社 

鷹見神社の西側の白土医院の前にあり、39年〜55年までは現在の(株)ハタブが使用したようです 

この建物は、遠賀銀行(株)折尾支店(M.43〜T.9)、後の本店(T.9〜S.2)のようです

折尾町-2-29年の写真で、この建物が確認できます 

 

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西鉄の路線跡地とボタ山跡の眺望 

 

  

西鉄の折尾電停跡と、現在の電車路線跡地です  この路線跡地には、折尾地区整備事業の新道・折尾東西線が計画されています  

右は昭和46年に閉山した、日炭高松炭鉱の二鉱ボタ山跡です  閉山後に整備され、最盛時の雄姿は望めません 

 

上と同じマンションから見た、南側にある整備された日炭高松炭鉱の一鉱ボタ山跡です  手前は東筑高校と八幡総合庁舎です 

左の山は、昭和39年まで中間市にあった、大正鉱業・中鶴炭鉱の蓮花寺ボタ山です 

 

 

皿倉山から見た、日炭高松炭鉱の一鉱ボタ山跡と遠賀川です  ボタ山跡の右は、水巻町の吉田工業団地( 日炭の第一鉱業所跡地 )です 

 

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折 尾 地 区 総 合 整 備 事 業

(平成22年09月現在)
1.折尾土地区画整理事業---再開発第2ビル(電車ビル)が解体中
2.折尾駅周辺連続立体交差事業---筑豊本線の函渠築造工事が進行中
3.折尾駅前周辺街路事業---反対運動と、用地買収・建物解体が粛々と進行中 

 

駅前駐輪駐車場の解体工事が終了し
新々堀川(堀川運河)は、25年前の駅前再開発以来の東側への再移設工事が進行しています
 

大正時代から続いていたミツトモ醤油店が、19年5月に解体撤去されました
後方右側の駅前駐輪・駐車場の解体工事が始まり、代替駐輪場が西鉄の路線跡地に設置されました
 

妙應寺の本堂の場所には、大正中期〜昭和40年頃まで遠賀公会堂が建っていました
写真・情報等の提供をお願いいたします
 

 


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折尾町の歴史ある建物の最後  (平成19年05月撮影)  

 

折尾駅近くの以前には-遊郭-平尾』-だった建物が、マンション建設により7月には解体される予定になっています・・・・折尾町の歴史の1ページが消滅します  

近所には映画館(折尾東映??)もありましたが、火災により今は駐車場になっています・・・・この赤い雨戸も見納めです 

 ( 平成19年11月に、解体作業が始まりました )


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「7-折尾駅周辺連続立体交差事業」を追加


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更新日- 2007/06/29




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