懐かしき折尾町 -1 |
昭和22年に、民間の「安藤公園」が「 折尾公園」 と改称して開園しました
昭和35年12月に「折尾公園」は閉園となり、現在では住宅地になっています
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匿名さんより写真の提供がありました )
( 「じゃーなる洞南」・「フレスター」・「時と風の博物館」等の写真・資料を追加しました )
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写真と情報の提供を、お願い致します )
折 尾 公 園 の 変 遷 |
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昭和23年の折尾公園 |
折尾公園内に、V字型の三本松池が確認できます 現在の折尾4丁目や大浦・藤原地区にも、池のあることが分かります |
「国土地理院の地形図(折尾)-1950-より一部抜粋加筆」 昭和25年の折尾公園 |
「日炭高松炭鉱の記憶」でも使用している、昭和25年の折尾と水巻町の地図です |
大浦地区に、L形の路線がありますが、何があった所でしょうか??? |
( 大浦には--三菱セメントがセメント製造用に粘土を採取していた--との情報がありました--10/09 ) |
(東筑百年史より) 南東から見た、昭和29年の折尾駅と折尾公園 |
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折尾公園は、昭和22年に安藤金五郎氏所有の公園を折尾公園と改称しました |
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園内の三本松池には吊り橋や貸しボートがあり、桜やツツジの名所として親しまれていました 市勢要覧では、面積六万余坪となっています |
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昭和35年12月に閉鎖され、住宅地が造成されました 左上は日ノ峰山で、右上は浅川地区になります |
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(東筑百年史より) 昭和29年の折尾公園のズームアップ | ||||||||
白い吊り橋の記憶はありますが、公園内の西端--199号線バイパス沿いのマンションの真下付近--と確認しました |
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上部の白いキズが、現在の199号線バイパスのラインとほぼ一致します |
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折尾警察署の左に、公園の入口ゲートらしき・・・・( 折尾警察署は、昭和13年に新築・移転しました ) |
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園内の三本松池は、手前の山に隠れて見えません この山の南側に、現在は折尾スターレーンと簡易裁判所が建っています |
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(じゃーなる洞南-第429号-2012.04.15より) 昭和30年の折尾町 | ||||||||
昭和30年に、福原高校が八幡西高校と改称し、遠賀高校が遠賀農芸高校と改称した。 |
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昭和31年には、折尾高校が東筑高校から分離独立するので、上の地図は昭和30年と思われる。 |
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(( 昭和24年に、東筑高校・折尾高校・八幡商業高校の3校を統合して、東筑高校となる。)) |
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(( 折尾高校は、「東筑高校・南校舎」となったが、他の地図でも、「東筑商高校」や「東筑南高校」と表示されているものがある。)) |
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(八幡市折尾町・字図より) 昭和34年の折尾公園 |
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折尾公園は、字三本松と字二十田にあり、園内の池は三本松池と判明しました |
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折尾駅の北西側の、字八反田・字三本松・字二十田・字紺屋倉等は、以前は日吉町と呼ばれていました |
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(フレスター-第86号-2012.02より-藤中寛之氏の寄稿) 折尾公園の配置図 |
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折尾公園の元従業員等から聞取り調査をした、公園内の乗り物等の配置が確認できます。 |
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学園&地域交流ネットワーク・「フレスター」の交流ニュース第86号に掲載されていました。 |
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昭和29年の折尾公園 |
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北側から、ロープウェイ駅・遊覧飛行機とミニSLを見ているようです |
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(じゃーなる洞南-第429号-2012.04.15より) 上下4枚で、ロープウェイ駅と遊覧飛行機を、四方向から確認できます |
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(じゃーなる洞南-第431号-2013.06.15より) 昭和31年の三本松池の石橋 | ||||||||
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(「時と風の博物館」-1955.04-中山肇氏撮影より転載) 昭和30年4月の折尾公園 |
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西側のロープウェイ駅から東方向を見ているようです |
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(Wikipedia-orio-Tequask撮影より) 昭和30年4月3日の折尾公園の桜まつり |
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折尾公園の正面ゲートを北側から見ています、旧・折尾警察署の望楼と皿倉山が確認できます。 |
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昭和30年頃の折尾警察署 |
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昭和25年頃の折尾公園 昭和28年の撮影会風景 |
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折尾公園の吊り橋と、貸しボート風景 |
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( 匿名さんより、貴重な写真の提供がありました
) (公園入口の記憶はありませんが、園内の檻の前は坂道だったと思います・・・・) |
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昭和36年の折尾公園の跡地 |
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北側の自由ヶ丘には、昭和35年に開校した九州女子短期大学の校舎が見えています |
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昭和41年の折尾公園の跡地 |
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北側の自由ヶ丘には、昭和37年に開校した九州女子大学と、昭和40年に開校した九州共立大学が見えています |
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平成5年頃の折尾公園の跡地 |
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上の吊り橋は、折尾スターレーン北側のマンションの真下付近と思われます |
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左下の高台と、移転前の折尾警察署横の道以外は、住宅地造成で変わってしまいました |
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皿倉山から見た---折尾地区と日炭高松炭鉱の二鉱ボタ山跡 |
左上は水巻町の多賀山自然公園と図書館、二鉱ボタ山跡の上部は遠賀川、右上は航空自衛隊芦屋基地です |
左中に東筑高校、中央に折尾スターレーンとオリオンプラザ・市営駐車駐輪場、右に九州女子大学と九州共立大学のグランドの一部です |
手前は則松と瀬板貯水池、右は中須・光明橋から長崎・則松間のJR陸橋です |
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二鉱ボタ山は、芦屋基地の滑走路の延長線上にあり、32年以後には北東側に拡がりながら成長しました |
( 日炭高松炭鉱の閉山前と、昭和32年に上部が削られる前の写真を探しています ) |
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