日炭高松-閉山後の変遷 

昭和46年閉山後の二鉱ボタ山(浅川ボタ山・高尾ボタ山)の整備と、炭住街跡地の新住宅団地への変貌

北九州市側の炭住街跡は、昭和50年代前半には、殆どが住宅地に変わっている

( 日炭高松炭鉱の写真を探しています )


閉山前後の二鉱ボタ山周辺の変化

 

(直方市石炭記念館)                  昭和31年---水巻町(右)若松市・八幡市(左)の境界地区     二鉱ボタ山の山頂切除直前の最後の雄姿

 

 

(直方市石炭記念館)                    昭和32年---水巻町(右)若松市・八幡市(左)の境界地区      二鉱ボタ山は徐々に姿を変えていきます

北九州市と遠賀郡の境界線上にあった遠賀丘陵地帯は、現在では殆どが住宅地となって、写真の丘陵地帯は姿を消しています 

 

昭和47年---水巻町(下)と北九州市八幡西区(上)        閉山の翌年3月、社宅街の殆どが残っています

 

(国土画像情報・S49より)                    昭和49年---水巻町(左)と北九州市八幡西区(右)       高松団地・浅川台・日吉台団地の造成が進行中

 

(国土画像情報・S56より)                    昭和56年---水巻町(左)と北九州市八幡西区(右)      古賀区・梅ノ木区、宮ノ下・杁社宅が残っています 

 

(ふるさと飛行-1983より)                   昭和57年頃---水巻町(左)と北九州市八幡西区(右)       二鉱跡や杁クラブは、以前の姿で残っています 

 

 

                               昭和59年頃---水巻町(上)と北九州市八幡西区(下)          ダイエー水巻店は、58年4月にオープン

 

(ふるさと飛行-1989より)                   平成元年---水巻町(下)と北九州市八幡西区(上)     二鉱跡は住宅地、宮ノ下跡は総合運動公園に造成中 

 

(水巻町図書館)                            平成14年---水巻町(下)と北九州市(上)                       二鉱ボタ山は、整備され低くなってしまった 

北九州市の最西端、遠賀郡水巻町との境界線に残っているボタ山跡です


我が故郷の日炭高松・二鉱ボタ山
(浅川ボタ山・高尾ボタ山)は、削られ整備され、昔の雄姿をまったく残していない

当時の日炭高松の炭住街も、全てが住宅団地に生まれ変わってしまった

私の暮らした高尾区社宅は、高尾工業団地・高尾団地・日吉台団地の下に埋もれてしまった

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更新日-'05/08/18
 
(2010/09/19)




 



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